マチュピチュの意味とは?何のために造られたのか?

「マチュピチュってどんな意味なんだろう」

と想像できない不思議さを持つ、ペルーにある500年以上前に作られたインカ帝国の遺跡、その不思議さや謎にせまってみました。

 

インカ帝国とは?

 

インカ帝国は南米のアンデス山脈あたりに栄えた国ですが、元々はペルーのクスコに住んでいた部族のことを言いました。
その部族を中心にインカの大帝国が作られていきます。
王様の命令で、まず同じケチュア語を話す人たちを全てインカと呼ぶようになります。
その後スペイン人がやってきて、スペインの部類でないものを全てインカと呼ぶようになりました。

 

インカ帝国はアンデス文明が栄えていました。
アンデス文明はモンゴロイド(モンゴル人)が動物を追って凍ったベーリング海峡を渡ったり他のルートで海を渡りアメリカ大陸にやってきたのが始まりです。そこからアメリカ大陸全土に広がっていきます。

そのアンデス文明は文字を持ちません。
そのためマチュピチュが何のために作られたのか謎に包まれていますが、神話やスペイン人の記録から1200年ごろにインカ族がクスコに小国家をつくったであろうと推測されてます。

 

初めは小さな部族間の争いでしかなかったのですが、15世紀中ごろにインカ帝国は一気に大きくなります。南北4000km、100万平方kmの広大な大帝国となりました。
今のペルー、エクアドル、チリにまで及びます。この時に数多くの神殿道路を作っていきますが、この道路がスペイン人の侵略の助けにもなるんですね。

 

1532年にピサロ率いるスペイン人たちがやってきて
1533年11月15日にクスコの神殿や宮殿を襲い壊し、金銀を奪い、と暴れまくります。

スペイン本国の政府はやりすぎなピサロを止めるために正規軍を派遣することになります。
ピサロは仕方なくその正規軍に折れて、新たな首都を海岸沿いのリマに作りそこに移りました。

 

その後もインカ帝国はスペイン人に反撃をしますが勝てません。
次第に弱まっていくインカ帝国。
最後の皇帝が1572年にとらえられて処刑され、インカ帝国は滅びました。

 

マチュピチュはいつ、何のために造られたの?

 

インカ帝国の滅亡から400年後、マチュピチュはアメリカの歴史学者に発見されます。
マチュピチュはスペイン人の侵略への最後の砦、ではないそうで、
15世紀中ごろインカ帝国を一気に拡大した第9代皇帝が造った王族や貴族のための避暑地だと考えられています。
そこからスペイン人に征服されるまでの約80年間、人々はマチュピチュで生活していました。
見つかった骨には戦いの形跡は見られておらず、
50代以上の骨が多く、健康的で平和に暮らしていたことが推測されます。

 

インカ帝国では太陽を神とし、皇帝は太陽神の子とされ、暦を管理していました。
東西が断崖のマチュピチュは、太陽の動きを知るのにちょうど良い場所です。
そして太陽に近い
信仰的にも最高の立地だったことが分かりますね。

 

マチュピチュの名前の由来は?

 

マチュピチュという遺跡名は、ケチュア語で「老いた峰」という意味で、遺跡の中に太陽の神殿があります。太陽を観測するための「太陽の神殿」は、冬至と夏至が分かり、マチュピチュには日時計もあります。
マチュピチュの背後の山はワイナ・ピチュで、「若い峰」の意味ですが、こちらには「月の神殿」があります。インカの人々は月も神としていました。

 

その他マチュピチュには宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、住民の住居もあります。
最大でも750名ほどの住民しかいなかったとされ、皇帝たちがいないときは住民も少人数だけだったとされています。

 

どうやって造ったの?

 

マチュピチュやクスコには石をすき間なく重ねた石組が見られますね。
小型の叩石で細かく叩きながら表面をならしていったとされています。
それで4角形だけでなく、5角形や12角の石まであります。
本当に隙間がなく石と石がピッタリしており、カミソリの刃も通りません。

 

ではどうやって5~10トンもある巨大な石を標高2430mのマチュピチュに運んだのでしょうか?
まだ謎ではありますが、マチュピチュの石はほとんどが花崗岩で、もともとマチュピチュの山にあったものと考えられています。
石に自然に入っている割れ目から石を切り出したそうですが、すき間ない石積みといい、凄い技術ですね。

 

それからよく雨が降るこの地域でマチュピチュが500年間形を保っていられるのは、細かい砂と土を運んで斜面の段々畑に使うだけでなく、石積みの下にも細長く直線状に盛り上げたうね状が造られていたからとされます。

 

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5.おまけ

 

ピサロ率いるスペイン人って200人ぐらいしかいなくて、対してインカ帝国には数万の軍隊がいました。
どう考えても無謀なスペイン人だと思うのですけれど、武器をあまり持たないインカの軍隊は昼間は農業をするので夜は眠ります。そこで奇襲を掛けられたんだ、とマチュピチュ近くに住むおじさんが教えてくれました。

インカの王様・・・。

スペイン人が持ち込んだ流行病もあったり、見たことのない大砲などでそりゃびっくりでしょうが、油断していたら少数にでもやられる、という・・・。

「孫子の兵法」を思い出しました。
相手に対してこちらが少数なら、「勝負の得意とすることに力を集中させる」です。
相手を混乱させ力を分散させて、自分の力を1点に集中して敵の最重要部分を攻める。
そのため「少数精鋭」で「奇襲戦法」であること。

うーん、どの時代でも通じますね。

でもこのピサロ、お金の分配とかで部下と争って部下に殺されます。
良いことを広めていき結果として良いことが返ってくる、というのがやっぱり良いなと思いました。

 

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